老農不死而且堅強
如果我沒記錯的話,山下惣一《土と日本人----農のゆくえを問う》(東京:NHKブックス498,1986年4月20日)這本奇書是我1987年在東京古舊書店購得的。我稱它為奇書主要有兩個定義。首先,在這個農民作家筆下展現的日本的農地,不是田園牧歌式的小說,而是具有實證主義和社會學意義的調查和數據,包括氣候變遷對於日本農地土壤的影響等等。其次,讀到這樸素文字,促進我對於日本農民文學的探索。在台灣,也有作家描寫農民的生存處境如龍瑛宗的短篇小說〈牛車〉,儘管題旨在於慢速的牛車最終被高效的汽車所取代而失業,卻寫盡台灣殖民地時期底層人物(妻子苦於生活所迫賣淫)的悲哀。對我而言,我偏愛閱讀農民與土地的關係,或者說農民的宿命使然,是他們離不開土地,要不就是被土地牢牢綁住,進一步說,這種彼此糾纏依附的關係,深深吸引我的閱讀。
基於這樣的情結,我在文化大學第73期中日筆譯班小說翻譯課程,特別選取農民作家黑島傳治的短篇小說〈風雪西伯利亞〉作為翻譯的講義文本。本期學員領悟力極高,口頭和文字翻譯通達,若繼續努力累積經驗,將來必能誕生卓越的譯者。下課後,或許我還沒走出小說中的情境,我忽然想起了約翰.斯坦貝克的長篇小說----《憤怒的葡萄》,這部小說發表於1939年,描寫美國1930年代經濟恐慌期間大批農民破產逃荒的故事,另日,應當騰出時間做比較。接著,我上網查找日本農民文學的刊物,真是機緣巧合,一則山下惣一的專訪映入我的眼簾。當下,我認為這是翻譯之神的安排,甚至是祂為我補課特地顯現出來的。就這樣,我免費獲得這幾條訊息和啟示,在此轉貼這篇專訪,順便籍此機會呈現我最近購得的《食農實農:屬於臺灣人的食與農》一書封面,畢竟,要探討日本的農民文學(農村生活.糧食政策等等),也應當將現今的臺灣人的食與農一併納入考察,才不致於視野窄化和精神養分失調。(2023年1月14日)
「老農は死なず」 山下惣一さん、執筆活動引退
渡辺松雄
佐賀県唐津市在住の「農民作家」として知られる山下惣一さん(84)が、執筆活動から退いた。2月に発行された農業に関する月刊誌と専門紙での連載を最終回にして身を引いた。50年以上にわたり、農民の目で小説やエッセーなど50冊以上を書いてきた業績が消えることはない。
1936年、農家の長男に生まれた。中学校を卒業して農業を継ぎ、30歳過ぎで作家デビュー。69年、「海鳴り」で日本農民文学会賞を受賞。79年に「減反神社」で地上文学賞を受け、81年にはこの作品で直木賞候補にもなった。
米やミカン、野菜をつくりながら、原稿用紙に向かってきた。「百姓をしながら、百姓のことを書いてきただけ。大げさなことではない」と話す。
昔は農村の理想像があり、それに対する現状への疑問や不満があって文字にしてきた。「農家の後継ぎがいなかったり男性の結婚相手がいなかったりすると大騒ぎになったが、いまでは問題にすらならない。歴史の流れは恐ろしい」
作家活動で印象的だったのは、新田次郎さんに東京・銀座へ飲みに連れて行かれたこと。「有名作家でも、みんな普通の人。野坂昭如さんや、井上ひさしさんもそうでした」と振り返る。
妻の須美子さん(78)と二人暮らし。今年から田んぼは人に預け、50アールほどのミカン山にほぼ専念する。
全国農業新聞の2月12日付のコラムでは、こう書き出した。「最終回である。理由はオレの老化だ。書き続ける意欲も気力も萎(な)えてきたのでこれにて終了としたい」。続いて「タテマエだけは書かなかった」「百姓は永遠に不滅」と主張したうえで締めくくった。「老農は死なず消えていくのみ」(渡辺松雄)
標籤: 隨筆
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